第393問1543年にポルトガル人を乗せた中国船が漂着し日本に鉄砲が伝来した場所はどこか。
- A種子島
- B堺
- C国友
- D根来
日本の歴史のうち、戦国・安土桃山から江戸、明治以降の近現代までを扱う分野です。鉄砲伝来やキリスト教の布教、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康による天下統一、江戸幕府、開国と明治維新などが対象です。歴史上の人物と事件、城郭や史跡、文化史が頻出テーマです。観光地の由来と結びつく題材が多いため、人物・年代・出来事を時系列で整理しつつ、関連する名所や世界遺産と関連づけて覚えると、案内の場面でも活きる知識になります。
この分野の問題115問を、選択肢・正解・解説つきで掲載しています。まず自分で解答を考えてから「正解と解説を見る」を開いて答え合わせをしてください。
クイズモードで挑戦 →正解:C.鉄砲は種子島時堯によって製法が学ばれ、ザビエルはカトリックのイエズス会宣教師として布教した。
鉄砲は種子島時堯が製法を学ばせ、ザビエルはイエズス会(カトリック)の宣教師です。
この問題の解説ページを開く →正解:C.関所を廃止して自由な商業をうながす一方で強大な僧兵を擁する延暦寺を焼き打ちした。
信長は関所廃止や楽市・楽座などの経済政策を進める一方、延暦寺を焼き打ちしました。
この問題の解説ページを開く →正解:A.明の征服をくわだてて朝鮮に協力を求めたが拒否されたため大軍を送り李舜臣らと戦った。
秀吉は明の征服をくわだて、協力を拒否した朝鮮に軍を送るも李舜臣らに阻まれました。
この問題の解説ページを開く →正解:D.京都所司代を設置して西国大名や朝廷を監視し、後に一国一城令や武家諸法度で統制した。
家康は1601年に京都所司代を置き、後に一国一城令や武家諸法度で大名を統制しました。
この問題の解説ページを開く →正解:A.当初は朱印船貿易やオランダとの平戸貿易を公認したがキリシタン増加を危惧して禁教・制限へ向かった。
家康は当初朱印船貿易などで平戸に商館を認めたが、後に禁教・貿易制限へと転じました。
この問題の解説ページを開く →正解:B.多くの大名改易による牢人の増加や慶安事件を背景に、綱吉は学問を重視し湯島聖堂を移した。
牢人問題(慶安事件)等から文治政治へ転換し、綱吉は湯島聖堂の移転など学問を重視しました。
この問題の解説ページを開く →正解:D.白石は長崎貿易を制限して金銀の流出を防ごうとし、吉宗は新田開発や上米の制で米収を増やそうとした。
白石は長崎貿易を制限し、吉宗は新田開発や上米の制などで財政再建をはかりました。
この問題の解説ページを開く →正解:B.産業が成長した一方で年貢米の価格が相対的に下がったため、幕府も諸藩も深刻な財政難に陥った。
産業の成長に対し、米価が相対的に下落したことで幕府・諸藩は財政難に陥りました。
この問題の解説ページを開く →正解:A.田沼は株仲間の結成や長崎貿易など商業の活性化をはかり、定信は吉宗を理想として質素・倹約をかかげた。
田沼は株仲間や長崎貿易など商業重視、定信は吉宗を理想とする緊縮・倹約方針でした。
この問題の解説ページを開く →正解:B.薩摩藩は黒砂糖の専売や清との密貿易を行い、長州藩は越荷方を設置してその利益で負債を返済した。
薩摩藩は黒砂糖専売や密貿易、長州藩は村田清風のもと越荷方の利益で負債を返済しました。
この問題の解説ページを開く →正解:C.条約調印を批判された井伊直弼が反対派を処刑したが、直弼が暗殺されると幕府は和宮の結婚による融和をはかった。
井伊直弼の安政の大獄に対し、桜田門外の変で直弼が暗殺され、後に和宮との公武合体が進みました。
この問題の解説ページを開く →正解:B.四国連合艦隊下関砲撃事件と薩英戦争によって列強の強さを思い知り、攘夷の困難さを知った。
長州の四国連合艦隊砲撃事件、薩摩の薩英戦争により、両藩は攘夷の困難を知り倒幕へ転じました。
この問題の解説ページを開く →正解:C.王政復古の大号令で新政府樹立が宣言された後、鳥羽・伏見の戦いから内戦が始まり五稜郭の降伏で終結した。
王政復古の大号令後、鳥羽・伏見の戦いから戊辰戦争が始まり、函館五稜郭の降伏で終わりました。
この問題の解説ページを開く →正解:D.南蛮文化はヨーロッパから伝来し、元禄文化は上方の町人が担い、化政文化は江戸の庶民が中心となった。
元禄文化は上方(京都・大阪)の町人、化政文化は江戸の庶民・民衆が担い手となりました。
この問題の解説ページを開く →正解:B.陽明学は知行合一を説き、国学は仏教・儒教が流入する前の日本人の精神を追究した。
陽明学は知行合一を説き、国学は仏教・儒教流入前の古道や日本人の精神を追究しました。
この問題の解説ページを開く →正解:D.徳川吉宗による洋書輸入制限の緩和を契機に、杉田玄白らが医学書「解体新書」の翻訳を完成させた。
吉宗の洋書輸入制限緩和を機に蘭学がさかんになり、杉田玄白らが「解体新書」を翻訳しました。
この問題の解説ページを開く →正解:A.藩校は家臣の子弟のために諸藩が建て、私塾は民間で開かれ、寺子屋は庶民の初等教育機関として普及した。
藩校は家臣子弟のため、私塾は民間、寺子屋は庶民の初等教育機関として全国に普及しました。
この問題の解説ページを開く →正解:C.俵屋宗達の装飾画や菱川師宣の浮世絵誕生を経て、化政期には葛飾北斎や歌川広重らが錦絵の風景画で活躍した。
宗達の装飾画や師宣の浮世絵から、化政期には鈴木春信の錦絵を経て北斎・広重の風景画へ発展しました。
この問題の解説ページを開く →正解:D.二葉亭四迷の口語体小説から、与謝野晶子らのロマン主義、島崎藤村らの自然主義へ進んだ。
二葉亭四迷らの言文一致から、晶子らのロマン主義、藤村や田山花袋らの自然主義へ進みました。
この問題の解説ページを開く →正解:C.北里は破傷風の血清療法、志賀は赤痢菌の発見、野口は梅毒スピロヘータの純粋培養に成功した。
北里は破傷風の血清療法、志賀は赤痢菌発見、野口は梅毒スピロヘータの純粋培養に成功しました。
この問題の解説ページを開く →正解:B.川端康成と大江健三郎が受賞し、建築では丹下健三、芸術では岡本太郎が「太陽の塔」を制作した。
川端康成・大江健三郎が文学賞を受賞し、丹下健三らが建築で、岡本太郎が太陽の塔で活躍しました。
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