第61問院政期に上皇や女院が盛んに行った熊野詣の道中で、街道に多く設けられ宿泊所としても利用された分祀社を何というか。
- A王子社
- B今熊野社
- C宮座
- D惣村
院政期から鎌倉・室町にかけての神道思想と武家・庶民の信仰を扱う分野です。熊野詣と王子社、御成敗式目第一条、両部神道・伊勢神道(神道五部書)、神本仏迹説、吉田兼倶の唯一神道と太元宮、宗源宣旨が頻出します。神国思想の高揚や三社託宣、惣村の宮座・頭屋、一味神水といった庶民の信仰も問われます。仏家神道から反本地垂迹の思想へ移る流れと、各神道説の拠点・特徴を対応づけて覚えるのが攻略のポイントです。出題数30問。
この分野の問題30問を、選択肢・正解・解説つきで掲載しています。まず自分で解答を考えてから「正解と解説を見る」を開いて答え合わせをしてください。
クイズモードで挑戦 →正解:B.承久の変後に西国に所領を得た御家人たちに対し、神社の運営や祭祀に怠慢がないよう求めた。
『御成敗式目』は承久の変後の紛争を裁く基準として制定され、第一条で御家人の祭祀厳修を定めました。
この問題の解説ページを開く →正解:A.足利尊氏は南朝との戦いで京都を離れられず、鶴岡八幡宮に代わって石清水八幡宮を篤く崇敬した。
尊氏は京都から離れられなかったため、源氏の氏神である八幡神として石清水八幡宮に崇敬を集中させました。
この問題の解説ページを開く →正解:C.本地垂迹説の浸透により「日本は神国であり仏国である」との一国意識が生まれ、元寇後はさらに神国思想が高揚した。
中世には神国であり仏法にふさわしい地であるという一国意識が生まれ、元寇の勝利で神国思想が高揚しました。
この問題の解説ページを開く →正解:D.一味神水と呼ばれる儀式で、起請文を焼いて神水に混ぜて回し飲み、氏神の前で結束を誓い合った。
一揆を結ぶ際、村民の精神的拠り所である鎮守で起請文の灰を混ぜた神水を回し飲む一味神水を行いました。
この問題の解説ページを開く →正解:B.地方の神々に対して神位・神階を授ける「宗源宣旨」や、神事の免許状である「神道裁許状」を発行した。
吉田兼倶・兼右らは、独自の裁量で宗源宣旨や神道裁許状を発行し、地方祠官や宮座を取り込みました。
この問題の解説ページを開く →正解:A.境内に埋葬され「神龍明神」として祀られたことは、人を神として祀る近世の豊国神社などの創建の先駆けとなった。
兼倶は死後吉田社境内に埋葬されて神として祀られ、これは秀吉や家康を神として祀る先駆けとなりました。
この問題の解説ページを開く →正解:C.仏教や儒教を完全に排斥し、純粋な日本古来の信仰のみで理論を構築した。
吉田神道はその数理の独自性を強調しつつも、密教や陰陽道、道教などの教説を取り入れて形成されています。
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