神社検定2級 ② 平安時代の神祇と信仰

平安京遷都から摂関・院政期にかけての神祇制度と信仰を扱う分野です。勘解由使や蔵人所などの令外官、延喜式と神名帳、賀茂斎院、二十二社奉幣、国司神拝と総社の成立が頻出します。あわせて神仏習合の深化(本地垂迹説・和光同塵)、御霊信仰と御霊会、末法思想と浄土教の広がりも問われます。制度の整備と信仰の変化が並行して進む時代なので、延喜式を軸に官社制度と神仏習合の思想を結びつけて整理すると理解が進みます。出題数30問。

この分野の問題30問を、選択肢・正解・解説つきで掲載しています。まず自分で解答を考えてから「正解と解説を見る」を開いて答え合わせをしてください。

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31桓武天皇が新たに設けた、国司の事務の引き継ぎを厳しく監督させるための令外官は何ですか。

  1. A蔵人
  2. B征夷大将軍
  3. C勘解由使
  4. D斎院
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正解:C勘解由使

桓武天皇は地方政治にも力を入れ、令には規定されていなかった勘解由使という職を新たに設けて国司を監督させました。

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32桓武天皇の御代に、蝦夷の族長・阿弖流為を帰順させて、鎮守府を多賀城からはるか北の胆沢城に移した人物は誰ですか。

  1. A藤原種継
  2. B坂上田村麻呂
  3. C平将門
  4. D菅原道真
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正解:B坂上田村麻呂

坂上田村麻呂は征夷大将軍となり、阿弓流為を帰順させて鎮守府を胆沢城に移しました。

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33平安京遷都後、都を守護する神として「東の厳神、西の猛霊」と並び称された神社の組み合わせとして正しいものはどれですか。

  1. A鹿島社と香取社
  2. B賀茂社と松尾社
  3. C春日社と平野社
  4. D園神社と韓神社
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正解:B賀茂社と松尾社

平安京の東西に位置する賀茂社と松尾社は「東の厳神、西の猛霊」と並び称され、都を守護する神として崇敬されました。

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34桓武天皇は延暦17年(798)、祈年祭の班幣を徹底するため全国の官社を二つに分けました。畿外の神社(国幣社)は誰から幣帛を受けることとしましたか。

  1. A神祇官
  2. B陰陽師
  3. C天皇の勅使
  4. D所在の国司
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正解:D所在の国司

桓武天皇は、畿外の神社をその所在の国司から幣帛を受ける国幣社とし、上京の負担を軽減して制度の立て直しを図りました。

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35薬子の変に際して、天皇の命令を速やかに太政官組織に伝えるための秘書機関として設けられた令外官の役所は何ですか。

  1. A勘解由使
  2. B斎宮寮
  3. C神祇官
  4. D蔵人所
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正解:D蔵人所

嵯峨天皇の御代に起きた薬子の変の際、天皇の命令を伝えるために蔵人が置かれ、その役所が蔵人所でした。

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36法令の規定を追加・修正する「格」と施行細則の「式」をまとめた三代格式のうち、「延喜格式」の編纂を命じた天皇は誰ですか。

  1. A清和天皇
  2. B醍醐天皇
  3. C桓武天皇
  4. D嵯峨天皇
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正解:B醍醐天皇

「延喜格式」は、第60代醍醐天皇の命で延喜7年(907)に編纂されました。

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37嵯峨天皇が薬子の変の平定を感謝して賀茂社に祈願し、神宮の例にならって設置した役職で、初代として有智子内親王が奉仕したものは何ですか。

  1. A内侍
  2. B伊勢斎王
  3. C斎宮
  4. D賀茂斎王
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正解:D賀茂斎王

嵯峨天皇は神宮の例にならって斎院を設置し、未婚の皇女を「賀茂斎王」として祭祀に奉仕させました。

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38平安時代、朝廷から神社へ派遣される参幣使が奏上した宣命の料紙には定まった色がありました。賀茂社で用いられた色は何色ですか。

  1. A紅色
  2. B黄色
  3. C縹色
  4. D白色
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正解:A紅色

宣命の料紙には定まった色があり、神宮は縹色、賀茂社は紅色、その他の神社は黄色が用いられました。

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39「延喜式」に関する記述として、正しくないものはどれですか。

  1. A巻九と十は「延喜式神名帳」と呼ばれ、当時のすべての神社が国郡別に記載されている。
  2. B全50巻のうち、巻一から巻十までが神祇官関係の式であり、全体の3分の1を占めている。
  3. C醍醐天皇の命により編纂が開始され、完成後さらに修正が加えられて康保4年(967)に施行された。
  4. D名神祭の対象とされる社はすべて大社であり、神名帳には名神大社として記されている。
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正解:A巻九と十は「延喜式神名帳」と呼ばれ、当時のすべての神社が国郡別に記載されている。

「延喜式神名帳」に記載されているのは当時の「官社(祈年祭班幣にあずかる神社)」であり、すべての神社ではありません。

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40弘仁6年(815)に完成した『新撰姓氏録』では氏族が出自別に分類されていますが、天神地祇を祖とする氏族は何と分類されていますか。

  1. A神別
  2. B皇別
  3. C諸蕃
  4. D未定雑姓
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正解:A神別

『新撰姓氏録』では、歴代天皇を祖とする氏族を皇別、天神地祇を祖とする氏族を神別、帰化人を祖とする氏族を諸蕃と分類しています。

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41天皇が関与する公的な祭祀「公祭」の最初とされる、奈良時代中期に孝謙天皇が関与した氏神祭祀はどこの神社のお祭りですか。

  1. A平野社
  2. B春日社
  3. C大原野社
  4. D梅宮社
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正解:B春日社

公祭の最初は春日祭です。孝謙天皇の母である光明皇后が藤原氏出身であったため、藤原氏の氏神である春日社の祭祀に関与しました。

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42天台宗を開いた最澄が、公認された正式な僧侶となるための「授戒」の場所を新たに設けることで南都の仏教勢力と激しく対立しましたが、この施設を何といいますか。

  1. A鎮守府
  2. B戒壇
  3. C曼荼羅
  4. D宮寺
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正解:B戒壇

戒律を授けられる場所を戒壇と呼び、当時は三か寺にしか許されていなかったため、最澄は新しい大乗戒壇の設立をめぐって対立しました。

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43真言宗や天台宗の「密教」において発達した、大日如来の智徳(金剛界)や慈悲(胎蔵界)を表す仏教世界を整然とした構図で描いたものは何ですか。

  1. A神像
  2. B懸仏
  3. C曼荼羅
  4. D御正体
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正解:C曼荼羅

曼荼羅は、密教で重んじる大日如来の智徳を表す金剛界と、慈悲を表す胎蔵界の仏教世界を描いたものです。

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44平安中期以降、阿弥陀仏を信仰し極楽浄土への往生を願う「浄土教」の流行をいっそう強める要因となった思想は何ですか。

  1. A本地垂迹説
  2. B陰陽五行説
  3. C末法思想
  4. D神仏習合
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正解:C末法思想

釈迦の死後、正法、像法の世を経て仏法が衰える末法の世が来るという「末法思想」が、来世での往生願望を一層高めました。

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45藤原氏が政権を握った摂関政治の時代において、公卿の会議で非常に重んじられるようになり、朝廷の年中行事の整備が進む要因となったものは何ですか。

  1. A勅旨
  2. B武力
  3. C先例
  4. D宣命
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正解:C先例

公卿の会議における審議では「先例」が非常に重んじられるようになり、その先例の積み重ねとしての儀式・儀礼が重きをなしていきました。

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46石清水臨時祭は、第61代朱雀天皇の御代にある乱の平定を感謝して行われましたが、その乱とは何ですか。

  1. A承平・天慶の乱
  2. B承和の変
  3. C薬子の変
  4. D前九年・後三年の役
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正解:A承平・天慶の乱

石清水臨時祭は、承平・天慶の乱の鎮定を謝して朱雀天皇の御代に行われ、のちに恒例化されました。

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47醍醐天皇の御代から毎朝、天皇が神宮を遙拝するために御所内の清涼殿の東南隣に設けられた場所を何といいますか。

  1. A石灰壇
  2. B賢所
  3. C温明殿
  4. D神泉苑
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正解:A石灰壇

醍醐天皇は、御所内の清涼殿の東南隣に設けられた地上を象徴する場所である「石灰壇」で毎朝伊勢神宮を遙拝されました。

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48平安時代初期、神鏡の御形代が宮中の「温明殿」に奉安され、内侍という女官によって祀られるようになりましたが、この殿舎はのちに何と呼ばれるようになりましたか。

  1. A内侍所
  2. B蔵人所
  3. C斎宮寮
  4. D行在所
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正解:A内侍所

温明殿という御殿は、内侍という女官によって祀られるようになり、のちに内侍所や賢所と呼ばれるようになりました。

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49貞観2年(860)に僧・行教が託宣を受けて平安京の南西方向に位置する男山に創建し、神社と寺院が融合した特殊な存在であった神社はどこですか。

  1. A平野神社
  2. B石清水八幡宮
  3. C松尾大社
  4. D賀茂別雷神社
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正解:B石清水八幡宮

奈良の大安寺の僧・行教が宇佐八幡宮に参詣して託宣を受け、男山に八幡神を勧請して創建したのが石清水八幡宮です。

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50本地垂迹説において、本地仏をもたない衆生の一つとしての神のことを「実神」という場合がありますが、本地仏をもつ垂迹神のことは何といいますか。

  1. A御霊
  2. B権神
  3. C護法善神
  4. D神像
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正解:B権神

本地垂迹説に関連し、本地仏をもつ垂迹神のことを「権神」といい、本地仏をもたない神を「実神」と呼ぶ場合があります。

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51貞観5年(863)、疫病の流行に際して朝廷が神泉苑で初めて行った大規模な官制の御霊会で、御霊として祀られた人物に含まれないのは誰ですか。

  1. A早良親王
  2. B橘逸勢
  3. C藤原広嗣
  4. D菅原道真
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正解:D菅原道真

貞観5年の御霊会で祀られたのは早良親王など六柱です。菅原道真は後の天暦元年(947)創建の北野社に祀られました。

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52本来は仏が自分の学徳や才能を隠して俗世間に交わるという意味でしたが、転じて、仏が仮の姿で神として現れるという神仏習合を説明する言葉としても用いられたものは何ですか。

  1. A現世利益
  2. B即身成仏
  3. C怨親平等
  4. D和光同塵
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正解:D和光同塵

「老子」を出典とする「和光同塵」という言葉は、仏が仮の姿で衆生の救済に赴くことを表し、神仏習合を説明する言葉としても用いられました。

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53平安時代には朝廷の儀式次第を記した儀式書が多く撰録されました。次のうち、村上天皇の御撰とされる儀式書はどれですか。

  1. A貞観儀式
  2. B北山抄
  3. C清涼記
  4. D江家次第
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正解:C清涼記

『清涼記』は村上天皇御撰とされています。『西宮記』は源高明撰、『北山抄』は藤原公任撰、『江家次第』は大江匡房撰です。

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54国家の非常時などに特定の神社に奉幣を行う制度について、第72代白河天皇の御代に日吉社が加えられて確立した奉幣制度は何ですか。

  1. A二十二社奉幣
  2. B十九社奉幣
  3. C二十一社奉幣
  4. D十六社奉幣
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正解:A二十二社奉幣

白河天皇の永保元年(1081)に日吉社を加えて「二十二社奉幣」が確立しました。

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55二十二社は上七社、中七社、下八社に分けられますが、次のうち「下八社」に含まれる神社はどれですか。

  1. A春日社
  2. B大原野社
  3. C貴布禰社
  4. D住吉社
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正解:C貴布禰社

春日社は上七社、大原野社と住吉社は中七社です。貴布禰(貴船)社は丹生から日吉までの下八社に含まれます。

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56地方の長官である国司は、任国に赴任するとまず国内に鎮座する有力神社に参詣しました。これを何といいますか。

  1. A一宮巡拝
  2. B国司神拝
  3. C国内神名帳
  4. D神社行幸
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正解:B国司神拝

国司が赴任時に国内の有力神社に参拝し、祭礼に参列して奉幣を行うことを国司神拝といいます。

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57国司が国内諸神社の巡拝の労を軽減するため、国庁の近くに一宮・二宮以下の神祇を勧請して一括して祀ったものを何といいますか。

  1. A神宮寺
  2. B鎮守社
  3. C総社
  4. D御厨
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正解:C総社

一宮制の成立とほぼ同じころ、国司は巡拝の労を軽減するため、神祇を一括して祀る「総社」を創建しました。

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58社寺が領有する荘園のうち、川や海に面しており、魚介類を神饌として神社に貢納するところを何と称しましたか。

  1. A散所
  2. B官省符荘
  3. C勅旨田
  4. D御厨
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正解:D御厨

川や海に面した荘園で、魚介類を神饌として貢納するところは御厨(みくりや)とも称されました。

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59平安時代の出来事や政策の背景について、最も古いものから順に正しく並べたものはどれですか。

  1. A延喜式の完成 → 平安京遷都 → 白河天皇による二十二社の確立
  2. B石清水八幡宮の創建 → 勘解由使の設置 → 薬子の変
  3. C最澄による天台宗の開宗 → 新撰姓氏録の完成 → 桓武天皇の蝦夷平定
  4. D早良親王の怨霊の噂 → 菅原道真の追放 → 安和の変
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正解:D早良親王の怨霊の噂 → 菅原道真の追放 → 安和の変

早良親王の事件(長岡京期)→菅原道真の追放(醍醐天皇期)→安和の変(村上天皇崩御後)の順です。

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60平安時代中期の地方の状況や武士団の成立に関する記述として、正しくないものはどれですか。

  1. A荘園の増加にともない、中央の神々が地方へ勧請されることは厳しく制限され、地方独自の信仰のみが発展した。
  2. B開発領主たちは税を逃れるために土地を天皇や貴族、大社寺に寄進するようになり、寄進地系荘園が成立した。
  3. C地方の有力者たちは武装して武士団を形成し、清和源氏や桓武平氏などが大きな勢力を築いた。
  4. D10世紀になると班田収受の制度は実施不可能になり、国司は有力な農民たちに耕作を請け負わせた。
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正解:A荘園の増加にともない、中央の神々が地方へ勧請されることは厳しく制限され、地方独自の信仰のみが発展した。

荘園の発達は、中央の神々の地方への勧請を促進させることになり、二十二社など荘園が多い神社の神々が全国各地に勧請されました。

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