神社検定2級 ④ 近世の神道(江戸)

織豊期から江戸時代までの神道と神社制度を扱う分野です。豊国大明神・東照大権現といった人を神として祀る動き、寺社奉行、諸社禰宜神主法度による神職統制、神道講釈、五節句や江戸三大祭りが頻出します。あわせて垂加神道など儒家神道の展開、伊勢御師とおかげ参りの流行、復古神道へつながる国学の動きも問われます。幕府の神社統制と各種神道説の発展を並行して押さえ、近代の神社行政へどうつながるかを意識すると理解が深まります。出題数30問。

この分野の問題30問を、選択肢・正解・解説つきで掲載しています。まず自分で解答を考えてから「正解と解説を見る」を開いて答え合わせをしてください。

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91豊臣秀吉の死後、彼を豊国大明神として祀った豊国神社の神宮寺別当を務めたのは誰か。

  1. A以心崇伝
  2. B慶光院清順
  3. C吉田兼見の弟・梵舜
  4. D天海
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正解:C吉田兼見の弟・梵舜

秀吉を祀る豊国神社の神宮寺別当には吉田兼見の弟である梵舜があたりました。

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92徳川家康の神号をめぐる論争で、天海の主張が通り決定した神号と本地仏の正しい組み合わせはどれか。

  1. A東照大明神と薬師如来
  2. B東照大権現と阿弥陀如来
  3. C東照大権現と薬師如来
  4. D東照大明神と阿弥陀如来
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正解:C東照大権現と薬師如来

天海は山王一実神道に依拠して「大権現」号を主張し、薬師如来を本地仏としました。

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93江戸幕府の役職で、老中直属であり社寺行政を管轄した三奉行の筆頭格は何か。

  1. A町奉行
  2. B山田奉行
  3. C勘定奉行
  4. D寺社奉行
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正解:D寺社奉行

寺社奉行は老中直属で三奉行中の筆頭であり、社寺の行政を広く管轄しました。

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94寛文5年に出された「諸社禰宜神主法度」の第1条で、神職が専ら学ぶべきものとされたのは何か。

  1. A儒学道
  2. B神祇道
  3. C陰陽道
  4. D修験道
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正解:B神祇道

第1条には「諸社の禰宜神主等、専ら神祇道を学び」と記されています。

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95「諸社禰宜神主法度」の内容に関する記述として、正しくないものはどれか。

  1. A位階を持たない神職は、狩衣などの装束を自由に着てよい。
  2. B神職は伝来の神事・祭礼に努めなくてはならない。
  3. C位階昇進を伝奏によって行ってきた者は、これからもそのとおりにする。
  4. D神領地は一切売買してはならず、質に入れることも禁じられた。
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正解:A位階を持たない神職は、狩衣などの装束を自由に着てよい。

位階を持たない神職は白張を着け、それ以外の装束は吉田家の許状に従うとされました。

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96応仁の乱以降中断していた神宮式年遷宮の再興において、募財活動を行い外宮遷宮を遂行した尼僧は誰か。

  1. A増穂残口
  2. B慶光院周養
  3. C慶光院清順
  4. D荷田春満
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正解:C慶光院清順

慶光院清順上人は諸国を勧進して回り、正親町天皇の意向を受け外宮遷宮を遂行しました。

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97江戸時代における修験道の当山派と本山派の中心寺院の組み合わせとして、正しいものはどれか。

  1. A当山派:聖護院、本山派:醍醐寺三宝院
  2. B当山派:園城寺、本山派:延暦寺
  3. C当山派:延暦寺、本山派:園城寺
  4. D当山派:醍醐寺三宝院、本山派:聖護院
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正解:D当山派:醍醐寺三宝院、本山派:聖護院

当山派は醍醐寺三宝院が中心的地位を占め、本山派は聖護院が掌握していました。

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98江戸時代中期以降、神職たちが寺請制度から離れ神式による葬儀を求めた運動を何というか。

  1. A廃仏毀釈運動
  2. B離檀運動(神葬祭運動)
  3. C神仏分離運動
  4. D尊王攘夷運動
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正解:B離檀運動(神葬祭運動)

神職たちは「神祇道を学び」という文言に基づき、檀家制度から離れる離檀運動を起こしました。

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99江戸時代に行われた各藩の社寺整理に関する記述として、正しくないものはどれか。

  1. A水戸藩では徳川光圀が寺院整理を行った。
  2. B会津藩では保科正之が社寺整理を行った。
  3. C岡山藩では池田光政が一村に一社を定めた。
  4. D越後の酒田藩では神道請が完全に認められた。
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正解:D越後の酒田藩では神道請が完全に認められた。

酒田藩の神社は神宮寺を廃し神葬祭を行いましたが、訴えられて敗訴し寺請とされました。

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10017世紀後半から行われるようになった、一般庶民に向けての神道の講義を何というか。

  1. A神道伝授
  2. B神道講釈
  3. C神道請
  4. D神道裁許
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正解:B神道講釈

社会の文化的発展を反映し、一般庶民に向けた神道の講義である「神道講釈」が行われました。

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101江戸時代に五節句として制度化された行事のうち、9月9日に菊の節句とも呼ばれるものはどれか。

  1. A重陽
  2. B端午
  3. C七夕
  4. D上巳
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正解:A重陽

9月9日の重陽は菊の節句とも呼ばれ、五節句として制度化されました。

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102江戸三大祭りと称される祭礼の組み合わせとして正しいものはどれか。

  1. A山王祭、三社祭、祇園祭
  2. B祇園祭、天神祭、神田祭
  3. C山王祭、神田祭、深川祭
  4. D祇園祭、神田祭、深川祭
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正解:C山王祭、神田祭、深川祭

山王祭と神田祭に、深川祭あるいは三社祭を加えて江戸三大祭りと呼ばれます。

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103富士講の祖とされ、戦国時代から江戸時代にかけて活動した修験者は誰か。

  1. A長谷川角行
  2. B食行身禄
  3. C増穂残口
  4. D山崎闇斎
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正解:A長谷川角行

富士講の祖は、戦国時代から江戸時代にかけて活動した修験者の長谷川角行とされています。

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104朱子学を学び、神道と儒教は究極的に一致するという神儒一致説を唱え理当心地神道を提唱したのは誰か。

  1. A藤原惺窩
  2. B山鹿素行
  3. C中江藤樹
  4. D林羅山
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正解:D林羅山

林羅山は神道と儒教は究極的に一致するとし、朱子学に基づく理当心地神道を提唱しました。

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105著書『中朝事実』の中で、大陸と異なり日本こそが「中朝」であると説いた人物は誰か。

  1. A山鹿素行
  2. B熊沢蕃山
  3. C吉川惟足
  4. D林羅山
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正解:A山鹿素行

山鹿素行は日本こそが「中朝」すなわち「中国」であると著書で説きました。

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106吉川神道において、万物生成の根本であり「敬」の根源とされた五行説の言葉はどれか。

  1. A水木
  2. B土金
  3. C木火
  4. D金水
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正解:B土金

吉川惟足は「土金」を用いて、「土がしまって金となる(つちしまる)」を敬の根源としました。

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107後期伊勢神道を提唱し、著書『陽復記』を残して豊宮崎文庫を創設した人物は誰か。

  1. A林羅山
  2. B吉川惟足
  3. C度会延佳
  4. D山崎闇斎
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正解:C度会延佳

外宮権禰宜の出口(度会)延佳は後期伊勢神道を提唱し、豊宮崎文庫を創設しました。

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108山崎闇斎の垂加神道に関する説明として、誤っているものはどれか。

  1. A生前に自らの霊魂を「垂加霊社」に祀って拝した。
  2. B神儒一致説に基づき、儒学と神道の完全な習合を主張した。
  3. C神々の作用によって生み出された人の心には等しく神霊が宿っているとした。
  4. D君臣の道は絶対であると説き、尊王思想に影響を与えた。
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正解:B神儒一致説に基づき、儒学と神道の完全な習合を主張した。

闇斎は神儒一致説とは異なり、儒学と神道の習合を退けて自らを神儒兼学と位置づけました。

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109水戸藩で徳川光圀が編纂を開始し、水戸学の基礎となった歴史書は何か。

  1. A本朝通鑑
  2. B日本書紀
  3. C六国史
  4. D大日本史
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正解:D大日本史

徳川光圀は『大日本史』の編纂を開始し、これが水戸学の基礎となりました。

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110江戸時代の国学に関する記述のうち、正しくないものはどれか。

  1. A賀茂真淵は『古今和歌集』の歌風をますらをぶりと呼んで高く評価した。
  2. B荷田春満は『創学校啓』を書き、和学興隆を図った。
  3. C契沖は実証的な方法で『万葉代匠記』を著した。
  4. D本居宣長は『古事記』を研究し『古事記伝』を著した。
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正解:A賀茂真淵は『古今和歌集』の歌風をますらをぶりと呼んで高く評価した。

賀茂真淵がますらをぶりと呼んで高く評価したのは『万葉集』の歌風です。

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111賀茂真淵の著書で、「延喜式」の最初の本格的な注釈書であるものはどれか。

  1. A国意考
  2. B万葉代匠記
  3. C祝詞考
  4. D古事記伝
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正解:C祝詞考

『祝詞考』は賀茂真淵が著した『延喜式』祝詞の最初の本格的な注釈書です。

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112本居宣長が学問の神髄とした、ものごとに触発されて生じる感情を表す言葉は何か。

  1. Aもののあはれ
  2. Bますらをぶり
  3. C居敬窮理
  4. D知行合一
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正解:Aもののあはれ

本居宣長は学問の神髄を「もののあはれを知るこころ」に求めました。

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113本居宣長が賀茂真淵と出会い、生涯に一度だけ面会して教えを受けた出来事は何と呼ばれるか。

  1. A松坂の一夜
  2. B鈴屋の集い
  3. C幽冥界の契り
  4. D神儒兼学の交わり
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正解:A松坂の一夜

本居宣長が賀茂真淵と一夜限りの対面を果たした出来事は「松坂の一夜」と呼ばれます。

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114服部中庸の『三大考』に触発され、死後の霊魂の行方を明らかにする『霊能真柱』を完成させたのは誰か。

  1. A荷田春満
  2. B平田篤胤
  3. C本居宣長
  4. D大国隆正
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正解:B平田篤胤

平田篤胤は『三大考』に触発され、死後の霊魂の行方を明らかにする『霊能真柱』を著しました。

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115平田篤胤の死生観において、人の霊魂は死後、どこに行き子孫や縁者を見守るとされたか。

  1. A極楽浄土
  2. B幽冥界
  3. C高天原
  4. D黄泉国
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正解:B幽冥界

平田篤胤は、人は死ぬと大国主神の治める幽冥界に行き、子孫を見守ると主張しました。

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116「国学の四大人」に含まれない人物は以下のうち誰か。

  1. A荷田春満
  2. B賀茂真淵
  3. C大国隆正
  4. D平田篤胤
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正解:C大国隆正

国学の四大人は荷田春満、賀茂真淵、本居宣長、平田篤胤であり大国隆正は含まれません。

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117仏教や儒教の影響を受ける以前の日本の姿や精神・神道を追究する思想を何と呼ぶか。

  1. A儒家神道
  2. B復古神道
  3. C理学神道
  4. D垂加神道
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正解:B復古神道

国学者による仏教や儒教の影響以前の神道を追及する思想は復古神道と呼ばれます。

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118貞享4年に、応仁の乱以降中断していた大嘗祭を221年ぶりに再興した天皇は誰か。

  1. A後水尾天皇
  2. B霊元天皇
  3. C中御門天皇
  4. D東山天皇
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正解:D東山天皇

貞享4年、東山天皇の即位に際して221年ぶりに大嘗祭が再興されました。

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119江戸幕府の寺社行政において、神宮の警備や造替、式年遷宮の管理を果たした役職は何か。

  1. A山田奉行
  2. B寺社奉行
  3. C日光奉行
  4. D町奉行
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正解:A山田奉行

山田奉行は神宮の警備や造替などの管理、伊勢国内の幕府領などを所管しました。

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120江戸時代の神道説と提唱者の組み合わせとして、誤っているものはどれか。

  1. A理当心地神道 - 林羅山
  2. B吉川神道 - 吉川惟足
  3. C垂加神道 - 山崎闇斎
  4. D後期伊勢神道 - 藤原惺窩
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正解:D後期伊勢神道 - 藤原惺窩

後期伊勢神道を提唱したのは藤原惺窩ではなく出口(度会)延佳です。

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