第306問セーヌ川中洲のシテ島に住み始めたケルト系の人々を何というか。Aゲルマン人Bスラヴ人CパリシイDノルマン人正解と解説を見る正解:C.パリシイ紀元前3世紀ごろにシテ島に住み始めたケルト系の人々を「パリシイ」と呼び、これがパリの語源となりました。この問題の解説ページを開く →
第307問ルーヴル宮があり、現在も政治・経済の中心として発展したパリのセーヌ川の岸はどちらか。A右岸B左岸Cシテ島Dサン・ルイ島正解と解説を見る正解:A.右岸セーヌ川の右岸は、正式に王宮に定められたルーヴル宮を中心に政治・経済の中心として発展しました。この問題の解説ページを開く →
第308問学生街カルティエ・ラタンやソルボンヌ大学があり、学問・文化の中心として発展したパリの岸はどちらか。A右岸B左岸Cシテ島Dサン・ルイ島正解と解説を見る正解:B.左岸セーヌ川の左岸は、カルティエ・ラタンやソルボンヌ大学があり、学問・文化の中心として発展しました。この問題の解説ページを開く →
第309問10〜14世紀に建てられたノートル・ダム大聖堂などの建築様式はどれか。Aロマネスク様式Bゴシック様式Cバロック様式Dビザンツ様式正解と解説を見る正解:B.ゴシック様式ノートル・ダム大聖堂や美しいステンドグラスが特徴のサント・シャペルは、ゴシック様式の代表的な建造物です。この問題の解説ページを開く →
第310問1789年にフランス革命が勃発し、のちにマリー・アントワネットらが処刑された広場はどれか。Aヴァンドーム広場Bコンコルド広場Cバスティーユ広場Dシャルル・ド・ゴール広場正解と解説を見る正解:B.コンコルド広場フランス革命の舞台となりルイ16世やマリー・アントワネットが処刑された広場は、のちにコンコルド広場と改称されました。この問題の解説ページを開く →
第311問19世紀後半に放射状の道路などパリの都市大改造を行ったセーヌ県知事は誰か。Aナポレオン1世Bルイ16世CオスマンDロベスピエール正解と解説を見る正解:C.オスマン19世紀後半のナポレオン3世の治世に、セーヌ県知事オスマンによって放射状の道路の交差点などに建造物が配置されました。この問題の解説ページを開く →
第312問1889年の万国博覧会のために建てられたパリの建造物はどれか。Aエッフェル塔B凱旋門Cルーヴル美術館Dオペラ座正解と解説を見る正解:A.エッフェル塔1889年にはパリを代表する建造物であるエッフェル塔も建てられ、都市計画のモデルにもなりました。この問題の解説ページを開く →
第313問ヴァティカン市国がイタリア王国との間で結んだ、独立を認める条約はどれか。Aヴェルサイユ条約Bラテラーノ条約Cウェストファリア条約Dパリ条約正解と解説を見る正解:B.ラテラーノ条約1929年にイタリアのムッソリーニ政権とローマ教皇庁の間で結ばれたラテラーノ条約により独立国家となりました。この問題の解説ページを開く →
第314問ラテラーノ条約を結んだイタリアの政権の指導者は誰か。AヒトラーBムッソリーニCビスマルクDナポレオン正解と解説を見る正解:B.ムッソリーニ1929年にイタリアのムッソリーニ政権と教皇庁の間で条約が結ばれました。この問題の解説ページを開く →
第315問ヴァティカン市国にあるカトリック教会の総本山である大聖堂はどれか。Aサン・ピエトロ大聖堂Bサン・マルコ大聖堂Cノートル・ダム大聖堂Dケルン大聖堂正解と解説を見る正解:A.サン・ピエトロ大聖堂この地にローマで殉教した聖ペテロの墓があるといわれ、サン・ピエトロ大聖堂が創建されました。この問題の解説ページを開く →
第316問16世紀初頭からのサン・ピエトロ大聖堂改修に参加したルネサンスの芸術家は誰か。Aレオナルド・ダ・ヴィンチBミケランジェロCボッティチェリDドナテッロ正解と解説を見る正解:B.ミケランジェロ16世紀初頭からブラマンテやラファエロ、ミケランジェロなどルネサンスの芸術家たちが参加して大改修が行われました。この問題の解説ページを開く →
第317問ヴァティカン市国の世界遺産としての登録範囲はどれか。Aサン・ピエトロ大聖堂のみB旧市街の一部C国全体Dバチカン宮殿のみ正解と解説を見る正解:C.国全体ヴァティカン市国は世界最小の独立国家であり、国全体が世界遺産に登録されている唯一の場所です。この問題の解説ページを開く →
第318問ヴェネツィアの潟(ラグーナ)の上に都市の基盤をつくるために使われた耐水性に優れた石は何か。A花崗岩B大理石Cイストリア石D黒曜石正解と解説を見る正解:C.イストリア石泥土に杭を打ち込み、イストリア石という耐水性に優れた石灰質の石を積んだ上に都市の基盤がつくられました。この問題の解説ページを開く →
第319問東方貿易の拠点として繁栄したヴェネツィアの異名(呼び名)はどれか。A地中海の真珠Bアドリア海の女王C水の都の王Dヨーロッパの十字路正解と解説を見る正解:B.アドリア海の女王東方貿易の一大交易拠点として経済的に発展したことから「アドリア海の女王」と呼ばれました。この問題の解説ページを開く →
第320問1797年にヴェネツィアを侵略し、その独立を終わらせた人物は誰か。Aナポレオン1世BカエサルCネルソン提督Dフリードリヒ2世正解と解説を見る正解:A.ナポレオン1世16世紀以降は国力が衰え、1797年にナポレオン1世による侵略を受けて独立を失いました。この問題の解説ページを開く →
第321問サン・マルコ大聖堂が11世紀に改築された際の建築様式はどれか。Aゴシック様式Bロマネスク様式Cビザンツ様式Dバロック様式正解と解説を見る正解:C.ビザンツ様式9世紀につくられた聖マルコの聖遺物を祀る大聖堂は、11世紀に現在のビザンツ様式に改築されました。この問題の解説ページを開く →
第322問ドゥカーレ宮殿内に飾られている、ティントレットの代表作である世界最大級の油絵はどれか。A最後の晩餐Bヴィーナスの誕生C天国D春正解と解説を見る正解:C.天国9世紀に城塞として建造されたドゥカーレ宮殿内には、ティントレットの「天国」など多くの絵画が飾られています。この問題の解説ページを開く →
第323問現在、ヴェネツィアの街が海に沈み始めている主な原因はどれか。A火山噴火B地下水や天然ガスの採取C酸性雨D森林伐採正解と解説を見る正解:B.地下水や天然ガスの採取地下水や天然ガスの採取の影響で地盤沈下が起こり、街が海に沈み始めています。この問題の解説ページを開く →
第324問ヴェネツィアが最盛期に独占していた、アジアからの香辛料や織物を輸入する貿易は何か。A北方貿易B三角貿易C東方貿易D大西洋貿易正解と解説を見る正解:C.東方貿易地中海東岸地方からヴェネツィアなどの北イタリア諸都市を経由してヨーロッパへもたらされる東方貿易で繁栄しました。この問題の解説ページを開く →
第325問中世ヨーロッパ最大の商業同盟であり、リューベックが盟主を務めた同盟は何か。Aロンバルディア同盟Bハンザ同盟Cペロポネソス同盟Dデロス同盟正解と解説を見る正解:B.ハンザ同盟ドイツ北部の諸都市が結成した商業同盟であるハンザ同盟の盟主としてリューベックは繁栄しました。この問題の解説ページを開く →
第326問ハンザ同盟の盟主として繁栄したリューベックの異名はどれか。Aハンザの女王Bバルト海の真珠C北方のライオンDドイツの心正解と解説を見る正解:A.ハンザの女王17世紀に同盟が解散するまで繁栄を続け、「ハンザの女王」と呼ばれました。この問題の解説ページを開く →
第327問リューベックの旧市街の入り口にそびえ立つ城門はどれか。Aブランデンブルク門Bホルステン門C凱旋門Dサン・ベネゼ門正解と解説を見る正解:B.ホルステン門城門であるホルステン門をくぐると旧市街が広がり、ゴシック建築の市庁舎などが並んでいます。この問題の解説ページを開く →
第328問リューベックの特有の建築様式に見られる、屋根の両側にある段状の構造を何というか。A円形のドームB階段状の破風C尖塔アーチDギリシャ風の円柱正解と解説を見る正解:B.階段状の破風ハンザ商人たちの住居は、赤レンガづくりで両側に階段状の大きな破風をもつ特有の建築様式です。この問題の解説ページを開く →
第329問リューベック出身であり、『ブッデンブローク家の人々』などで知られるノーベル文学賞作家は誰か。AゲーテBトーマス・マンCヘルマン・ヘッセDグリム兄弟正解と解説を見る正解:B.トーマス・マンリューベックはノーベル文学賞を受賞したトーマス・マンの出身地としても知られています。この問題の解説ページを開く →
第330問711年のウマイヤ朝侵略以降、キリスト教勢力が行ったイベリア半島の国土回復運動を何というか。AルネサンスB宗教改革CレコンキスタD産業革命正解と解説を見る正解:C.レコンキスタキリスト教勢力は、イベリア半島の北部からイスラム勢力の駆逐運動であるレコンキスタを始めました。この問題の解説ページを開く →
第331問イベリア半島最後のイスラム王朝であり、アルハンブラ宮殿を建設した王国はどれか。Aナスル朝(グラナダ王国)Bウマイヤ朝Cアッバース朝Dファーティマ朝正解と解説を見る正解:A.ナスル朝(グラナダ王国)1232年にイベリア半島南部にイスラム王朝のグラナダ王国(ナスル朝)が成立し、宮殿の建設が始まりました。この問題の解説ページを開く →
第332問グラナダ王国が陥落し、レコンキスタが完了した年はいつか。A711年B1096年C1232年D1492年正解と解説を見る正解:D.1492年1492年にキリスト教側からの総攻撃を受けてグラナダは陥落し、レコンキスタが完了しました。この問題の解説ページを開く →
第333問アルハンブラ宮殿の内部に見られる、鍾乳石のような細かい装飾を何というか。AアラベスクBスタラクタイトCフレスコDステンドグラス正解と解説を見る正解:B.スタラクタイト宮殿の内部は大理石の床やスタラクタイトと呼ばれる鍾乳石装飾などで彩られています。この問題の解説ページを開く →
第334問宮殿の東側の丘に位置する、14世紀に王族の避暑地として造営された離宮はどれか。Aアルハンブラ宮殿Bヘネラリーフェ離宮Cヴェルサイユ宮殿Dドゥカーレ宮殿正解と解説を見る正解:B.ヘネラリーフェ離宮宮殿の東側の丘の上には14世紀に王族の避暑地として造営されたヘネラリーフェ離宮があります。この問題の解説ページを開く →
第335問イスラムの様式を色濃く残す、グラナダ最古の居住区はどこか。Aアルバイシン地区Bカルティエ・ラタンCソカロDシテ島正解と解説を見る正解:A.アルバイシン地区アルバイシン地区はグラナダ最古の居住区で、イスラムの様式を色濃く残し白壁の民家が密集しています。この問題の解説ページを開く →
第336問アルハンブラ宮殿の名の由来となった、城壁やレンガの色を表すアラビア語の意味はどれか。A赤い城B白い宮殿C黄金の門D青の都正解と解説を見る正解:A.赤い城アルハンブラはアラビア語で「赤い城」を意味し、城壁の赤褐色に由来するとされます。この問題の解説ページを開く →
第337問カステル・デル・モンテを建設した神聖ローマ皇帝は誰か。Aカール大帝Bフィリップ4世Cフリードリヒ2世Dナポレオン正解と解説を見る正解:C.フリードリヒ2世神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世は教養人で、イスラム側に深い理解を示しこの城を建設しました。この問題の解説ページを開く →
第338問フリードリヒ2世が、イスラム側との話し合いで一時的に聖地を回復した出来事はどれか。A第1回十字軍B第3回十字軍C第6回十字軍D少年十字軍正解と解説を見る正解:C.第6回十字軍第6回十字軍で、イスラム側との話し合いで一時エルサレムを回復しました。この問題の解説ページを開く →
第339問カステル・デル・モンテの城壁や塔、中庭などで統一されている図形はどれか。A四角形B六角形C八角形D円形正解と解説を見る正解:C.八角形この城は八角形の中庭を八角形の壁が取り囲み、壁の角に八角形の塔が8つ付設されています。この問題の解説ページを開く →
第340問この城の屋根の貯水槽にたまった雨水はどのように利用されたか。A庭園の噴水にのみ使われたB農業用の水路に流されたC外部へ排出されたD各部屋に供給された正解と解説を見る正解:D.各部屋に供給された屋根の貯水槽にたまった雨水が各部屋に供給されるようになっていました。この問題の解説ページを開く →
第341問1309年から約70年間、ローマ教皇庁がアヴィニョンに移された事件を何というか。Aカノッサの屈辱B大シスマC教皇のバビロン捕囚D叙任権闘争正解と解説を見る正解:C.教皇のバビロン捕囚7人の教皇がフランス国王の監視下におかれた時代は「教皇のバビロン捕囚」と呼ばれています。この問題の解説ページを開く →
第342問教皇ボニファティウス8世と対立し、教皇庁をアヴィニョンに移転させる圧力をかけたフランス国王は誰か。Aルイ14世Bフィリップ4世Cアンリ4世Dシャルル7世正解と解説を見る正解:B.フィリップ4世フランス国王フィリップ4世は教会の課税を巡り対立し、教皇庁をアヴィニョンに移転させました。この問題の解説ページを開く →
第343問アヴィニョンに旧宮殿を建設し、戒律の厳しいシトー会出身であった教皇は誰か。Aクレメンス6世Bベネディクトゥス12世Cグレゴリウス11世Dレオ10世正解と解説を見る正解:B.ベネディクトゥス12世アヴィニョン3代目の教皇ベネディクトゥス12世は、装飾の少ない質素な旧宮殿を建設しました。この問題の解説ページを開く →
第344問新宮殿を華美なゴシック様式で増築し、多くの芸術家を呼び寄せた教皇は誰か。Aボニファティウス8世Bクレメンス6世Cクレメンス5世Dマルティヌス5世正解と解説を見る正解:B.クレメンス6世クレメンス6世が増築した新宮殿は、ゴシック様式が取り入れられフレスコ画などで華美に装飾されました。この問題の解説ページを開く →
第345問フランス民謡にも歌われ、12世紀に建造されたアヴィニョンの街のシンボルはどれか。Aホルステン門Bリアルト橋Cサン・ベネゼ橋Dため息橋正解と解説を見る正解:C.サン・ベネゼ橋街のシンボルである12世紀に建造されたサン・ベネゼ橋は、フランス民謡でも親しまれています。この問題の解説ページを開く →
第346問教皇庁がローマへ帰還した後、1417年まで続いたカトリック教会の分裂状態を何というか。A教皇のバビロン捕囚B教会大分裂(大シスマ)Cカノッサの屈辱D十字軍の遠征正解と解説を見る正解:B.教会大分裂(大シスマ)ローマとアヴィニョンに教皇が並立して教会が2つに分裂した混乱を教会大分裂(大シスマ)と呼びます。この問題の解説ページを開く →
第347問1517年にヴィッテンベルク城の付属聖堂に「95ヵ条の論題」を貼り出した人物は誰か。AカルヴァンBツヴィングリCマルティン・ルターDエラスムス正解と解説を見る正解:C.マルティン・ルターマルティン・ルターが「95ヵ条の論題」においてカトリック教会の贖宥状販売を批判したことに始まります。この問題の解説ページを開く →
第348問ルターが批判した、当時のカトリック教会が発行・販売していたものは何か。A聖書B贖宥状(免罪符)CロザリオD聖遺物正解と解説を見る正解:B.贖宥状(免罪符)カトリック教会の贖宥状(免罪符)販売を批判したことが宗教改革の発端となりました。この問題の解説ページを開く →
第349問ルターが対立したカトリック教会に対し、一般信者へ普及させるために行ったことは何か。A聖書のドイツ語翻訳B新しい賛美歌の作曲C独自の教皇の擁立D十字軍の結成正解と解説を見る正解:A.聖書のドイツ語翻訳聖書のドイツ語翻訳やルター派教会の設立などを通じてヨーロッパの歴史を大きく動かしました。この問題の解説ページを開く →
第350問ルターが生まれ、そしてこの世を去った街はどこか。AヴィッテンベルクBアヴィニョンCアイスレーベンDジュネーヴ正解と解説を見る正解:C.アイスレーベンアイスレーベンはルターが生まれ、またこの世を去った街です。この問題の解説ページを開く →
第351問14〜16世紀にフィレンツェを中心に広がった、古代ギリシャ・ローマ文化を模範とする新しい芸術・思想の動きは何か。A啓蒙思想BルネサンスCロマン主義D印象派正解と解説を見る正解:B.ルネサンス古代文化を模範とする人間中心の世界観に基づく新しい芸術・思想の動きをルネサンスと呼びます。この問題の解説ページを開く →
第352問ルネサンス期のフィレンツェにおいて、強大な財力で芸術家たちを保護した一族は誰か。Aハプスブルク家Bブルボン家Cメディチ家Dロマノフ家正解と解説を見る正解:C.メディチ家フィレンツェは強大な財力・政治力をもつ金融財閥メディチ家の支配のもとで発展しました。この問題の解説ページを開く →
第353問フィレンツェのサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂のドーム(クーポラ)を設計した建築家は誰か。AミケランジェロBレオナルド・ダ・ヴィンチCブルネレスキDラファエロ正解と解説を見る正解:C.ブルネレスキブルネレスキの設計した大聖堂のドーム天井は、約1000年ぶりに古典文化が復活したことを象徴する建物でした。この問題の解説ページを開く →
第354問フィレンツェのシニョーリア広場にレプリカが飾られている「ダヴィデ像」の作者は誰か。AボッティチェリBドナテッロCミケランジェロDティツィアーノ正解と解説を見る正解:C.ミケランジェロ彫刻家として名高いミケランジェロの代表作のひとつ「ダヴィデ像」のレプリカが飾られています。この問題の解説ページを開く →
第355問ボッティチェリの「春」やティツィアーノの「ウルビーノのヴィーナス」などが収蔵されている美術館はどこか。Aルーヴル美術館B大英博物館Cプラド美術館Dウフィツィ美術館正解と解説を見る正解:D.ウフィツィ美術館メディチ家の財産は遺言により寄贈され、現在その美術品はウフィツィ美術館で公開されています。この問題の解説ページを開く →
第356問ウフィツィ美術館の美術品は、メディチ家直系最後の子孫である誰の遺言によって政府に寄贈されたか。Aロレンツォ・デ・メディチBアンナ・マリア・ルイーザCマリー・アントワネットDエカチェリーナ2世正解と解説を見る正解:B.アンナ・マリア・ルイーザ18世紀にアンナ・マリア・ルイーザはメディチ家の財産をフィレンツェのものと遺言し寄贈しました。この問題の解説ページを開く →
第357問「万能の天才」と称され、メディチ家の保護のもとで活動したルネサンスの芸術家は誰か。AボッティチェリBレオナルド・ダ・ヴィンチCミケランジェロDラファエロ正解と解説を見る正解:B.レオナルド・ダ・ヴィンチボッティチェリや「万能の天才」とたたえられたレオナルド・ダ・ヴィンチなど多くの芸術家が活躍しました。この問題の解説ページを開く →
第358問1966年にフィレンツェを襲った大洪水で、復旧作業にあたったボランティアたちは何と讃えられたか。A泥の天使たちB水の守護者C奇跡の復旧団Dフィレンツェの盾正解と解説を見る正解:A.泥の天使たち世界各地から集まった学生を中心としたボランティアの活躍は「泥の天使たち」と讃えられました。この問題の解説ページを開く →
第359問贖宥状(免罪符)の販売を許可し、宗教改革の引き金となった教皇レオ10世の出身一族はどれか。Aボルジア家Bハプスブルク家Cメディチ家Dスフォルツァ家正解と解説を見る正解:C.メディチ家メディチ家当主の次男である教皇レオ10世が贖宥状の販売を許可したことが宗教改革を引き起こす要因となりました。この問題の解説ページを開く →
第360問ピサが地中海航路の支配下におき、東方貿易で栄えるきっかけとなった1063年の戦いはどれか。Aレパントの海戦Bパレルモ沖海戦Cメロリアの海戦Dサラミスの海戦正解と解説を見る正解:B.パレルモ沖海戦1063年のパレルモ沖海戦でイスラム軍を破り、地中海航路の多くを支配下において繁栄しました。この問題の解説ページを開く →
第361問ピサのドゥオーモ広場にある大聖堂は、何建築の代表作とされているか。Aゴシック建築Bロマネスク建築Cバロック建築Dルネサンス建築正解と解説を見る正解:B.ロマネスク建築大聖堂は、ローマ古典時代の要素を取り入れた均整のとれたロマネスク建築の代表作です。この問題の解説ページを開く →
第362問ピサの斜塔で重さの異なる2つの物体を落とす実験を行ったとされるピサ出身の学者は誰か。AニュートンBコペルニクスCガリレオ・ガリレイDケプラー正解と解説を見る正解:C.ガリレオ・ガリレイ振り子の等時性や落体の法則などを発見したガリレオ・ガリレイはピサ出身で、この斜塔で実験したと言われています。この問題の解説ページを開く →
第363問ピサの斜塔が1173年の着工当初から傾き始めた主な原因はどれか。A塔の設計ミスB軟弱な地盤C地震による断層のずれD海風による浸食正解と解説を見る正解:B.軟弱な地盤斜塔は着工当初より、軟弱な地盤のために傾き始めました。この問題の解説ページを開く →
第364問ピサが衰退する原因となった、1284年のジェノヴァとの戦いはどれか。Aパレルモ沖海戦Bレパントの海戦Cトラファルガーの海戦Dメロリアの海戦正解と解説を見る正解:D.メロリアの海戦1284年のメロリアの海戦でジェノヴァに敗北して衰退の一途をたどりました。この問題の解説ページを開く →
第365問現在のメキシコ・シティがある場所にかつて存在した、湖に浮かぶアステカ帝国の都はどれか。AクスコBマチュ・ピチュCテノチティトランDティカル正解と解説を見る正解:C.テノチティトランメキシコ・シティは、かつてアステカ帝国の都テノチティトランがあった場所に建設されました。この問題の解説ページを開く →
第366問1521年にテノチティトランを徹底的に破壊したスペイン人のコンキスタドール(征服者)は誰か。AピサロBコルテスCコロンブスDマゼラン正解と解説を見る正解:B.コルテス1521年にコルテスの軍勢が都を徹底的に破壊し、その廃墟の上に新都市メキシコ・シティが建設されました。この問題の解説ページを開く →
第367問メキシコ・シティの中心部にあり、大聖堂などが立ち並ぶ中央広場を何と呼ぶか。AアゴラBフォルムCソカロDピアッツァ正解と解説を見る正解:C.ソカロスペイン人によって「ソカロ」と呼ばれる中央広場を中心に碁盤目状に道路が整備されました。この問題の解説ページを開く →
第368問1978年に大聖堂の地下から発見された、アステカ帝国の宗教儀式が行われていた神殿跡はどれか。Aパルテノン神殿Bテンプロ・マヨールCジッグラトDアンコール・ワット正解と解説を見る正解:B.テンプロ・マヨール地下から発掘調査により2連の神殿をもつテンプロ・マヨールの遺構が発見されました。この問題の解説ページを開く →
第369問メキシコ・シティの南に位置する、「花の野の土地」を意味する水郷地帯はどこか。AアルバイシンBカルティエ・ラタンCソチミルコDラグーナ正解と解説を見る正解:C.ソチミルコソチミルコは古くから農業がさかんな水郷地帯で、先住民の言葉で「花の野の土地」を意味します。この問題の解説ページを開く →
第370問1480年にモスクワ大公国を独立させ、ビザンツ帝国の後継者を自称した人物は誰か。Aイヴァン3世Bイヴァン4世Cピョートル1世Dエカチェリーナ2世正解と解説を見る正解:A.イヴァン3世イヴァン3世はビザンツ帝国の後継者を自称し、1480年に独立してモスクワの城壁を強固にしました。この問題の解説ページを開く →
第371問モスクワ大公国などロシアの君主が名乗った、「皇帝」を意味する称号はどれか。AカエサルBツァーリCファラオDスルタン正解と解説を見る正解:B.ツァーリビザンツ帝国の後継者であるツァーリ(皇帝)を自称し、ロシア独自の文化を築きました。この問題の解説ページを開く →
第372問ロシア語で「城塞」を意味し、モスクワの中心に位置する政治と宗教の拠点はどこか。A宮殿B聖堂C城塞D広場正解と解説を見る正解:C.城塞クレムリンはロシア語で「城塞」を意味し、その城壁内には大聖堂や宮殿が建てられました。この問題の解説ページを開く →
第373問モスクワの中心にある「赤の広場」の「赤」は、ロシア語で本来どのような意味を持っていたか。A赤いレンガB共産主義C美しいD血塗られた正解と解説を見る正解:C.美しいロシア語で「赤い」とは「美しい」という意味をもっており、「美しい広場」という意味で象徴する名前となりました。この問題の解説ページを開く →
第374問赤の広場に建つ、色とりどりのタマネギ型円蓋(ドーム)をもつ象徴的な建造物はどれか。Aウスペンスキー大聖堂B聖ワシリイ大聖堂Cサン・ピエトロ大聖堂Dノートル・ダム大聖堂正解と解説を見る正解:B.聖ワシリイ大聖堂赤の広場を象徴する建物として、色とりどりのタマネギ型円蓋をもつ聖ワシリイ大聖堂があります。この問題の解説ページを開く →
第375問18世紀初頭にモスクワからサンクト・ペテルブルクに首都を移したロシアの皇帝は誰か。Aイヴァン3世Bイヴァン4世Cピョートル大帝Dニコライ2世正解と解説を見る正解:C.ピョートル大帝18世紀初頭にピョートル大帝がサンクト・ペテルブルクに遷都するまで、モスクワは首都として栄えました。この問題の解説ページを開く →