京都・観光文化検定試験3級 ② 京都の史跡

現地に残る遺構・跡地と、その名称・位置関係を問う分野。京都御所と京都御苑、桂離宮・修学院離宮、二条城、伏見城、聚楽第跡、豊臣秀吉が築いた御土居、鳥羽離宮跡、平安宮の大内裏跡や羅城門跡・朱雀大路といった平安京関連が頻出。太秦の広隆寺周辺や嵯峨野の史跡、古墳・陵墓も出る。つまずきどころは、現在の町名や通り名と当時の位置の対応で、地図をイメージしながら「今のどのあたりか」を確認しておくと選択肢の絞り込みが速くなる。

この分野の問題30問を、選択肢・正解・解説つきで掲載しています。まず自分で解答を考えてから「正解と解説を見る」を開いて答え合わせをしてください。

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31平安京を草創した桓武天皇の崩御後、皇位をめぐって起こった事件はどれか。

  1. A禁門の変
  2. B薬子の変
  3. C保元の乱
  4. D応仁の乱
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正解:B薬子の変

薬子の変は、平城上皇と嵯峨天皇が対立し、藤原仲成・薬子の兄妹が還都を企てた事件である。

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32恭仁宮跡の正式名称はどれか。

  1. A平安宮朝堂院
  2. B大養徳恭仁大宮
  3. C長岡宮大極殿
  4. D東三条殿
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正解:B大養徳恭仁大宮

恭仁宮の正式名称は、大養徳恭仁大宮である。

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33「幻の都」と呼ばれたのはどの都の遺跡か。

  1. A難波宮
  2. B長岡京
  3. C平城京
  4. D平安京
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正解:B長岡京

十年間で放棄された長岡京は姿や記憶が失われ、「幻の都」と呼ばれた。

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34平安宮の大極殿が造営された現在の地はどこか。

  1. A岡崎一帯
  2. B京都御苑内
  3. C千本丸太町交差点付近
  4. D六波羅蜜寺境内
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正解:C千本丸太町交差点付近

平安宮の大極殿は、現在の千本丸太町交差点付近に存在した。

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35平安宮の正殿である大極殿は、壮大さで2つの建物と並び称された。その一つは東大寺大仏殿だが、もう一つはどれか。

  1. A清水寺本堂
  2. B西教寺本堂
  3. C出雲大社本殿
  4. D三十三間堂
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正解:C出雲大社本殿

平安宮の大極殿は、東大寺大仏殿・出雲大社本殿と並び称される壮大なものであった。

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36平安京の中心を南北に通貫していた道幅約八十五メートルの大路はどれか。

  1. A千本通
  2. B朱雀大路
  3. C寺町通
  4. D高瀬川
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正解:B朱雀大路

朱雀大路は、朱雀門から羅城門まで南北に通貫していた。

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37平安京の二大官寺の一つである西寺の塔が焼失し、廃寺になったとされるのは何年か。

  1. A天平十三年
  2. B慶長五年
  3. C天福元年
  4. D永禄十一年
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正解:C天福元年

西寺は天福元年に塔が焼失し、それ以降廃寺になったと考えられる。

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38平安時代から鎌倉時代にかけて、賀茂社に奉仕した未婚の皇女を何と呼んだか。

  1. A斎院
  2. B女官
  3. C斎王代
  4. D氏長者
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正解:A斎院

賀茂社に奉仕する斎王が身を清めて住まう場所を斎院といい、そこへ仕える斎王がいた。

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39藤原道長が創建した大寺院で、道長が臨終を迎えた場所はどこか。

  1. A法勝寺
  2. B等持寺
  3. C東寺
  4. D法成寺
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正解:D法成寺

藤原道長は土御門殿に隣接して法成寺を創建し、そこで臨終を迎えた。

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40保元の乱で、崇徳上皇が入っていたために焼失した史跡はどれか。

  1. A西寺跡
  2. B花の御所跡
  3. C聚楽第跡
  4. D白河北殿跡
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正解:D白河北殿跡

保元の乱の時、白河北殿は崇徳上皇が入っていたために攻められ焼失した。

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41平清盛が後白河法皇の法住寺殿を攻め、幽閉した場所はどこか。

  1. A花の御所
  2. B聚楽第
  3. C鳥羽殿
  4. D東三条殿
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正解:C鳥羽殿

平清盛が後白河法皇を幽閉したのは鳥羽殿であった。

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42「室町幕府」の名称の由来となった、三代将軍足利義満が造営した将軍御所の名称はどれか。

  1. A花の御所
  2. B聚楽第
  3. C土御門殿
  4. D二条城
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正解:A花の御所

足利義満が北小路室町に造営した将軍御所が花の御所と呼ばれたため、室町幕府と呼ぶ。

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43応仁・文明の乱の勃発地とされている神社はどれか。

  1. A御霊神社
  2. B上賀茂神社
  3. C大酒神社
  4. D櫟谷七野神社
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正解:A御霊神社

文正二年、御霊社で合戦が起こり、応仁・文明の乱が始まった。

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44「西陣」という名の由来となった軍勢はどれか。

  1. A南軍
  2. B北軍
  3. C西軍
  4. D東軍
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正解:C西軍

応仁・文明の乱で、山名宗全の西軍の陣があったために西陣という名がついた。

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45豊臣秀吉が内野の地に造営した聚楽第は、完成の数年後にどうなったか。

  1. A現在まで保存されている
  2. B徳川氏の居城となった
  3. C落雷で焼失した
  4. D秀吉自身の命で取り壊された
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正解:D秀吉自身の命で取り壊された

聚楽第は秀次事件の後、秀吉自身の命によって破却された。

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46豊臣秀吉が京都の周囲に築いた御土居の目的として伝えられるものはどれか。

  1. A庭園の造成
  2. B鴨川の洪水対策と京都の境界画定
  3. C参拝路の整備
  4. D水運の確保
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正解:B鴨川の洪水対策と京都の境界画定

御土居は洪水への備えや外敵の防御、京都の内外を画する境界として築かれた。

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47織田信長が討たれた「本能寺の変」が起こった当時、本能寺があった場所はどこか。

  1. A千本丸太町
  2. B蛸薬師西洞院の辺り
  3. C二条城の北
  4. D現在地と同じ
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正解:B蛸薬師西洞院の辺り

天正十年の本能寺の変の際、寺は蛸薬師西洞院の辺りにあった。

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48豊臣秀吉の生涯の最期の地となった城はどれか。

  1. A聚楽第
  2. B淀城
  3. C二条城
  4. D伏見城
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正解:D伏見城

慶長三年、豊臣秀吉は伏見城でその生涯を閉じた。

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49現在の「京都御所」の前身として、南北朝統一後に皇居として定着した場所はどこか。

  1. A二条城
  2. B聚楽第
  3. C土御門東洞院内裏
  4. D花の御所
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正解:C土御門東洞院内裏

南北両朝が統一された後、土御門東洞院内裏が長く皇居として定着した。

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50京都御所の現在の規模がほぼ整ったのは、何時代の再興によるものか。

  1. A鎌倉時代
  2. B明治時代
  3. C江戸時代
  4. D平安時代
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正解:C江戸時代

現在の御所は、安政年間に寛政度にならって再興された時にほぼ整った。

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51後水尾上皇が造営した、比叡山の借景などで知られる山荘はどれか。

  1. A修学院離宮
  2. B二条城
  3. C京都仙洞御所
  4. D桂離宮
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正解:A修学院離宮

後水尾上皇は洛北の修学院に広大な山荘を造営した。

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52「修学院離宮」の山荘造営のプランを練ったとされるのは誰か。

  1. A後水尾上皇
  2. B豊臣秀吉
  3. C織田信長
  4. D徳川家康
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正解:A後水尾上皇

修学院離宮の造営にあたっては、上皇自らがプランを練ったとされている。

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53二条城の築城を命じ、徳川幕府の京での象徴とした人物は誰か。

  1. A徳川秀忠
  2. B徳川慶喜
  3. C徳川家光
  4. D徳川家康
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正解:D徳川家康

二条城は徳川家康が将軍宣下を受けるに際し、その居館として築かれた。

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54大政奉還の舞台となったのはどの場所か。

  1. A二条城
  2. B聚楽第
  3. C伏見城
  4. D花の御所
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正解:A二条城

慶応三年十月、二条城は大政奉還の舞台として歴史に名を留めた。

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55「天下の三大名棚」に含まれないものはどれか。

  1. A霞棚
  2. B修学院棚
  3. C桂棚
  4. D醍醐棚
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正解:B修学院棚

三大名棚は桂棚、醍醐棚、霞棚(修学院の客殿の棚)である。修学院棚という独立した名称ではない。

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56淀藩の藩主として幕末まで続いた主な家系はどれか。

  1. A稲葉家
  2. B徳川家
  3. C豊臣家
  4. D織田家
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正解:A稲葉家

稲葉家は十二代、幕末まで淀藩の藩主として続いた。

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57徳川家康が伏見に開いた銀貨の鋳造所はどれか。

  1. A銭座
  2. B金座
  3. C通宝座
  4. D銀座
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正解:D銀座

慶長六年に家康は伏見に銀座を開いた。

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58頼山陽の書斎で、京都の形容詞ともいえる「山紫水明」という言葉の由来となった場所はどれか。

  1. A落柿舎
  2. B山紫水明処
  3. C一之舟入
  4. D角倉邸
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正解:B山紫水明処

頼山陽は自らの書斎を「山紫水明処」と名付けた。

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59禁門の変(蛤御門の変)で、京都の市街地が焼失したことを何と呼ぶか。

  1. A寺町火災
  2. B都火災
  3. C洛中大火
  4. Dどんどん焼け
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正解:Dどんどん焼け

禁門の変による焼失は、どんどん焼け(鉄砲焼け)とも呼ばれた。

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60新選組の屯所が最初に置かれた壬生の史跡はどれか。

  1. A八木邸
  2. B酢屋
  3. C寺田屋
  4. D近江屋
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正解:A八木邸

壬生村の八木邸は新選組発祥の地であり、屯所であった。

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